てまげむ vol. 65 『没入』を振り返って追加メモ


毎週、ゲームについてテーマを設けて議論する『てまげむ』というポッドキャストをしています。先日は「没入するために必要な要素」というテーマがありましたが、我々らしく「そもそも没入とは何か」のすり合わせを時間いっぱいに行い、我ながら充実した回でした。(後半、1:49:55から。)

この記事は、その後に追加で見聞きしたことを簡単に書き残したものです。いずれも面白い動画・本なので、ぜひ。

しゃべりすぎGAMER

最近同様のテーマで議論していた IGN Japan の『しゃべりすぎGAMER』 #474 を追って聴きました。奇しくも似たような論点が挙がった点が興味深いです。一方で、主に今井さんのような「作り込まれた世界設定への没入」に関する主張や文字通り没入的な「イマーシブ・シム」に言及できなかったのはもったいなかったなと反省もしました。

クリティカル・ワード ゲームスタディーズ

ところで、以前せっかく読んだゲーム研究に関する書籍『クリティカル・ワード ゲームスタディーズ』に『没入』の章があったことを完全に忘れておりました。

引いてみると、我々が右往左往していた「没入とは?」という疑問が端的に整理されているじゃありませんか。

最後に没入概念の下位区分にもふれておきたい。そのうちもっとも代表的なものは「感覚的没入(S)」「挑戦に基づく没入(C)」「想像的没入(I)」の三区分を提起したラウラ・エルミとフランス・マウラの「SCIモデル」である(Ermi & Mäyrä, 2005)。カール・テリエンの「イリュージョンとしての没入」「心理的関与としての没入」「虚構世界への没入」という三区分も、基本的にエルミとマウラのものを踏襲している(Therrien 2014)。これに対してゴードン・カレーヤは、これまでのゲーム研究で「没入」をめぐる議論が混乱してきた理由は、「メディウムへの熱中全般」と「別の次元へと移される感覚」という異なる二つの現象がどちっらも同じ語で呼ばれてきたためであると批判的に指摘し、前者を「没頭(absorption)としての没入」、後者を「移行(transportation)としての没入」と呼び分ける、新たな二分法を提唱した(Calleja 2011, 32-33)。

吉田寛, "没入", クリティカル・ワード ゲームスタディーズ, フィルムアート社, pp. 226-231.

『てまげむ』でフィンさんが言及した「フロー状態」は「挑戦に基づく没入」あるいは「没頭」、めがぬさんの「FPSで生じやすい没入」は「感覚的没入」または「移行としての没入」と呼べそうです。

また、『てまげむ』の場では没頭の下位区分として没入があると考えていました。一方で、上記では逆として扱われており、これは説得力がありそうです。


総括として、あながち的外れではなかったのだな、と安心しました。今回「没入とは?」というテーマに興味を持っていただいた方は、もしよろしければ件の『てまげむ』も聞いていただけると嬉しいです。

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